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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)6532号 判決

原告 吉田貞太郎

原告 漆原シゲ

右両名代理人弁護士 和光米房

被告 東京都

右法定代理人東京都知事 安井誠一郎

右訴訟指定代理人 船橋俊通

同 増田隆

被告 原田貞之助

右訴訟代理人弁護士 山下卯吉

竹谷勇四郎

主文

原告等の請求をそれぞれ棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告等は原告等に対して各自金三十万円の金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

一、被告原田貞之助は警察法に所謂特別区の存する区域における自治体警察の公権力の行使に当る公務員である。而して被告東京都は、その自治体警察を維持し、その費用を負担する公共団体である。

二、被告原田は当時警視庁防犯部少年課保護係主任であつたが、昭和二十七年十月六日頃、日本放送協会及び東京新聞社の各警視庁詰記者に対して「千葉県船橋市宮本町の無職前科四犯吉田貞太郎(六十才)と妻しげ(五十七才)の二人を児童福祉法並びに職業安定法違反の疑いで検察庁に送りました。調べによりますと吉田夫婦は、夫が生命保険の外交員をやつている為顔が広いのを利用して去る六月頃からもぐりの周旋屋を始めました。そして茨城県土浦市のある農家の十七歳になる娘さんをはじめ東京都内や近県の農村、漁村のまずしい家庭の娘さん達三十二人を東京都内の特殊飲食店に五千円から一万円の手数料をとつて売り飛ばしていたものです。なお吉田は去る五月にも同じ様な疑いで検挙されたことがあり、吉田の手でこれまで売られた娘さんは二百人に上つています」旨の発表をなし、右発表は同年十月六日日本放送協会及東京新聞によつてそれぞれ放送若くは報道された。

三、しかしながら原告吉田は右発表にあるが如き児童福祉法違反の行為は全くなく、又子女を売飛ばした事実もない。尤も、元周旋業をしていた関係上「現在勤めている店が居ずらいから、他の店で働きたい」と依頼されて已むを得ずその世話をしたことはあるが、それも数年を通じて十三名位に過ぎない。被告原田は三十二名と発表したけれどもその事件で世話をしたのは僅かに二名乃至三名位であつて結局において処罰されたのは二名に対する行為についてであり、又所謂五月の検挙の際も同様二、三名であつた。かかる事実を目して二百名とするのは事実に反すること著るしく針小棒大も甚しきものといわなければならない。而して原告漆原シゲにおいては更に取調べを受けたこともなく、まして送検された事実もなかつたのである。

四、原告吉田は現住居に永年居住して保険代理店並びに不動産仲介業を営み、その資産は動産不動産を合計して金百三十五万円を有し、原告漆原は右吉田の内縁の妻として同様に資産金七十一万円を有し、相当の信用名誉を有していたものであるが、前記放送並びに報道の結果によつてその名誉及び信用を著しく侵害され、精神上甚大な苦痛を蒙つた。

五、右は偏えに前記の如き事実を歪曲して発表した被告原田の故意又は過失による違法な行為に基因するものである。従つて、被告原田は原告等に対し民法第七〇九条、同第七一〇条による不法行為の責任を有する。

而して、右被告原田の行為は警察法に所謂特別区の存する区域における自治体警察の公権力の行使として職務上行われたものであり、被告東京都はその自治体警察を維持し、その費用を負担する公共団体であるから国家賠償法に基き右原因の違法な行為によつて、原告等が蒙つた損害を賠償する責任がある。

六、そこで原告等の社会的地位、資産及前記の如き事情を綜合して、その精神上の苦痛に対する慰藉料として金二百万円を相当と考えられるが、とり敢えず被告等に対しては右内金として金三十万円宛の支払を求める為本訴請求に及んだ」と述べ、立証として≪省略≫と述べた。

被告東京都指定代理人及被告原田訴訟代理人は主文第一、第二項同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対する答弁として、請求原因中、

一、第一項は認める。二、第二項中被告原田が左記の如き発表をしたとの点は否認する。

(イ)「吉田貞太郎と妻しげの二人を児童福祉法並びに職業安定法違反の疑いで検察庁に送りました」

(ロ)「東京都内の特殊飲食店に五千円から一万円の手数料をもつて売りとばしていたものです」

(ハ)「売られた娘さんは二百人に上つています」

その他の点は認める。

第三項中原告漆原しげが取調べを受けず、且つ送検されなかつたことは認めるが、爾余の点は否認する。第四項中原告原田貞太郎が保険代理店を営んでいること、及原告漆原シゲがその内縁の妻であることは認めるが、その余の事実は不知。第五項中被告等に損害賠償責任ありとの点は否認する。

と答え、反対主張として、被告原田訴訟代理人は

一、被告原田は上司であつた当時の警視庁少年課保護係長古内寅雄の許可を得て、座談的に本件の状況を語つたもので、当時の捜査によれば、原告両名は共謀の児童福祉法並びに職業安定法違反被疑事実があり、その概要は無免許にて十八才未満又は成年の婦女子多数を特殊飲食店又は料理店等にその就職を斡旋していたもので、其のことを述べたに過ぎないものである。只児童福祉法違反で処理しなかつたのは本件処理当時既に他の係にて同罪により処理済のもの乃至は捜査着手当時本人が既に成年に達せる等の事情によるものである。従つて被告原田には職務上何等の故意過失もない。

二、原告等は国家賠償法により被告東京都に対し本訴請求をなすと共に、司法警察員である被告原田に対しても同種の請求をしている。

然し国家賠償法第一条第一項は国又は公共団体の公権力を行使する公務員が荀くもその職務の執行と認むべき行為をなすについて故意又は過失により違法に他人に損害を加えた場合、その被害者に直接損害賠償責任を負うことなく、専ら国又は公共団体から求償されることはあつても、公務員自身直接被害者に損害賠償の責任を負うことなく、専ら国又は公共団体だけが被害者に賠償責任を負うとするとの趣旨を規定しているものと解すべきである。

かかる見地から原告等の本訴請求は失当である。と述べ、立証として、乙第一乃至第三号証を提出し、証人古内寅雄の証言並びに被告原田本人尋問(第一、二回)の結果を援用し、甲第一乃至第五号証の成立は認めるが甲第六、七号証は不知と述べた。

理由

一、被告原田が警察法に所謂特別区の存する区域における自治体警察の公権力の行使に当る公務員であること、被告東京都がその自治体警察を維持しその費用を負担する公共団体であること、右原田が昭和二十七年十月六日頃日本放送協会並びに東京新聞社の各警視庁詰記者に対して原告吉田及漆原に関する児童福祉法並びに職業安定法違反被疑事件について、その被疑事実を発表したことについては当事者間に争がない。

而して、成立に争のない甲第二号証、同号証に依つて成立を認め得る甲第七号証、甲第三号証、同号証によつて成立を認め得る甲第六号証、成立につき争のない甲第一号証中証人原田貞之助の供述記載を綜合して考察すると、右発表の内容は原告等の主張するような趣旨のものであつたことを認めることができる。

被告原田本人尋問第一回の結果中右認定に牴触する如き供述部分は前記各証拠に照して容易に信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二、そこでまず右発表にかかる事実が虚偽の事実であつたか否かの点について判断する。

成立につき争のない甲第四号証、第五号証、被告原田第二回本人尋問の結果によつて成立を認め得る乙第一号証に証人古内寅雄の証言並びに被告原告本人尋問第一回(前記措信しない部分を除く)及第二回の結果を綜合すると、被告原田は当時警視庁少年課保護係主任として昭和二十七年八月頃原告吉田及漆原に対する職業安定法並びに児童福祉法違反容疑で原告吉田を逮捕取調べたところ、同人は過去において、右と同種の事実について四回処罰された旨の自供があり更に同人の自供によつてその裏付捜査をなし、被害者其の他関係人について取調べたところ、同人の斡旋によつて満十八才に満たないものをも含めて三十数名に上る婦女子が東京都内及東京近郊の特殊飲食店に売買されたこと、而して、右斡旋行為について同人の内妻原告漆原が重要な役割を占め、しかも漆原自身もこれに従事していたという共謀行為の事実が判明した。そこで、右漆原をも逮捕しようとしたところ、当時同人は病気であつて、しかも当時四才位の幼児があつた為右両名を同時に逮捕することは酷であるから猶予されたいとの右吉田の弁護人からの申出もあつて同人の逮捕はこれを見合せたこと、よつて吉田のみを送検し、その結果吉田は起訴されるに至つたが、児童福祉法違反の点については、被害者の年令が時日の経過によつて同法に定むるところを超えその適用が除外される等の事情もあつて、結局同人に対しては職業安定法違反の事実についてのみ有罪の判決があつたことが認められる。証人和光米房の証言並びに原告本人第一回尋問の結果中右認定に反する部分は前記各証拠に照して容易に信用し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、被告原田が前記発表に当つて原告漆原については前示の如く同人を逮捕して取調べた事実もなく従つて又送検したこともなかつたにもかかわらず(このことは被告等の認めて争わないところである)同人に関する事実についても述べたことが認められるが前掲甲第六号証、第七号証について右に認定した事実を対照して検討すると報道若くは放送の内容はその趣旨において右認定事実に異るところはないけれども、細部にわたる事実及表現等については例えば東京新聞においては、原告等両名を「検挙」したとあるも、放送原稿では「送検」とある如く必ずしも一致していない点に徴すると、原告等両名を送検したと明確に述べたものではなく、むしろ原告吉田を取調べて判明した原告等の共謀にかかる事実を述べたものと解する余地があり、又「吉田の手で売られた娘さんは二百人に上つています」と述べた部分についても、前示の如く、原告吉田が過去において同種の事件によつて数回処罰されている事実と本件被疑事実における被害者の数を較量して、原告等によつて数多くの人身売買の斡旋が今日迄になされてきたという被告原田の見込を述べたものと解するのが相当である。

以上認定の事実に徴すると被告原田の前示発表の趣旨はその表現において稍不正確であるとの非難は免れないとしても原告主張の如く虚偽の事実を述べ、若くは事実を著しく歪曲して述べたものと認めることはできず、他に原告の主張を認めるに足る証拠はない。

三、よつて進んで被告原田に右事実の発表につき故意又は過失があつたか否かについて判断する。

ここに故意とはその違法行為であることを知りつつ行うことであり、過失とはそのことを知り得べきであるにかかわらず、不注意により知らないことをいうものであることは明らかであるが、単に客観的に違法行為がなされたということ自体によつて直ちに故意又は過失あるものと推断すべきではない。けだし国又は公共団体の公務員が公権力を行使するにあたつては法令の定めるところに従つて、適正にこれをなすべきことが一般に要請せられているのであるが、その公権力の行使が適法であつたか違法であつたかは終局的には裁判所の判断によつて決せられるところであり、公権力の行使にあたる公務員がその違法なことを知りつつ行う場合は論外としても、自らは適法なりとの判断にもとずいてしたところが、裁判所の判断においては違法とされる場合には、その判断について過失があるかどうかを問題にしなければならないからである。

今これを本件について見るに成立に争のない甲第二号証口頭弁論調書中証人山崎政治の供述記載によれば昭和二十七年十月当時において、人身売買が絶えない為警視庁においては一般を警戒させる意味で人身売買被疑事件についてはこれを進んで新聞紙上、若くは放送によつてこれを発表する方針であつたことが窺われ、而して前記証人古内寅雄の証言及被告原田本人尋問第一回(前記措信しない部分を除く)第二回の各結果によれば、被告原田はこの方針に基き原告吉田に対する前示認定の如き犯罪事実の嫌疑が濃厚となつて、所謂送検の段階に達したものと確信し、当時の直属上司であつた訴外古内寅雄に対して右事実を新聞若くは放送記者に対して発表することの可否について意見を求めたところ、右訴外人の許可を得たので、原告主張の日時頃当時右原田において集取した資料に基き東京新聞社社会部警視庁詰記者訴外山崎政雄及日本放送協会警視庁詰放送記者訴外野依秀之に対して前示認定の如き趣旨の発表をなしたことが認められる。

他に右認定を左右するに足る証拠はない。そうだとすると、前示被告原告の発表行為は特に原告等を害する目的でなされたものであると認めることはできないのみならず、むしろ、右発表にかかる事実が公共の利害に関するものであつて、その発表の目的は専ら公益を図るにあつたものと解するのが相当である。従つて、被告原田において自己の行為が違法行為であることを知りながらなしたと認めることはできず、他にこれを認めるに足る充分な証拠はないからこの点に関する原告の主張は失当として排斥を免れない。

四、そこで更に被告原田が原告等に児童福祉法並に職業安定法違反の被疑事実がありその被害者が三十数名に上るものと確信してこれを発表した点について過失が存したか否かの点について判断する。

一般に犯罪の捜査の段階においては捜査官の主観的な嫌疑がその裏付けとなる証拠の集取によつて漸次客観化され、検察庁に送致する段階においてはその程度は比較的高度となるが、なおこの過程においては嫌疑という主観的な範囲を出でないものというべきである。従つてこの段階において客観的真実に合する事実の発表を捜査官に期待するのは難きを強いるものというべく、故に捜査官が犯罪の捜査に当つて通常払うべき注意を怠らず証拠の集取に努め周到なる調査を遂げた結果、かくして得られた信念の下にした発表が結果において真実に反し間違いであつたとしても事件の性質上かかる間違いをしてもむりからぬことと客観的に認められるならばそれは過失というべきではないと考える。成立につき争のない甲第四号証によれば原告吉田に対する本件被疑事実に対する判決は単に被害者二名に対する職業安定法違反の責任が問われているに過ぎないことが認められるけれども、前掲乙第一号証に被告原田本人第一、二回各尋問及び原告吉田本人尋問第二回の結果を綜合すると、原告吉田の供述に基いてその裏付け捜査がなされ、被害者数も相当数に上つておることが認められ、又、本件被疑事実の如く、被害者たる婦女子の移動が激しくその実体を把握し難いことに徴すれば前記発表当時における被告原田の判断について直ちに過失ありということはできない。而して他に被告原田に過失があつたと認めさせるに足る主張・立証はないから、この点に関する原告の主張も亦理由がないというべきである。

五、果してそうだとすると、原告等の本訴請求は被告都に対する請求にしても、被告原田個人に対する請求にしてもいずれも被告原田に故意又は過失があつたことを前提とするものであるから、その他の争点について判断するまでもなく失当として棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、同法第九十三条第一項本文を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 池野仁二)

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